新タイトル模索中…(新・北海道田園生活)
   新宿から移り住んだ札幌近郊での様々な出来事のブログの続編だったのですが、それも2007年10月に引き上げたので4年で終わりとなりました。次の住処が決まるまでタイトルも決められない「流浪のブログ」となります。
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ワケあって2007年秋まで北海道でのんびりと暮らすことになりました。客観的に見た北海道の話題と、家庭菜園や料理などの個人的な興味、さらにテレビやネットについて気になってることなどをテキトーにアップして

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 予定より少し遅れてバンダアチェに到着してウンザリさせられたことは…


 メダンからの深夜バスは少し遅れました。

バンダアチェに到着する直前にガソリンスタンドに寄って150リットルも給油したせいでもありましたが、スマトラでは1~2時間の延着は特に問題では無いのでしょう。私としては到着の遅れよりも車体に大きく「Wi-Fi」と表示しておきながら実際には繋がらなかったのが腹が立ったのですが、バスターミナルであまりにも多くの客引きに声をかけられたことにウンザリさせられました。

もう10年以上の歳月が過ぎていますので津波被害からの復興は進んでいるのでしょうが、産業が乏しくて失業率も高い地域性があるのでしょう。それは理解できるのですが、久しぶりに初めて訪れる街に着いて歩きたいのに「安くするから!」と言われても時間の無駄なのであきらめてもらいたいのですが…






 宿まではローカルな路地を選んで歩きました。

メダンを出る前にカルフールのWi-Fiでバンダアチェのバスターミナルから宿までの近道をGoogleマップで表示させておいたのですが、GPSで現在地がわかるので適当にアレンジ加えて楽しみながら歩きました。

バスターミナルの近くの幹線道路ではベモから何度か声をかけられましたが、細い路地では皆無でしたので気分も上々でした。住宅地ですからこんな感じでバナナを売ってる店もありましたが、これは閉店後もこのまま放置されているようでした。日本の田舎の無人販売と似た感じで、顔見知りばかりの小さなソサエティで誰も盗まないのでしょう。






 バンダアチェの宿にはWi-Fiがありませんでした。

メダンより高いのにWi-Fiが無いのは高いと少し値切ったのですが、ネットが無いのは不便です。部屋で電波の状態をチェックしてみたら数軒先のカフェのWi-Fiが微弱ながら確認できましたので、とりあえずパスワードを知るためにランチを食べてみることに。

食べる部分が少ないチキンの唐揚げとスープで20000ルピアと安くは無かったのですが、24時間営業の店のWi-Fiが使い放題になりましたので悪くはありませんでした。ただ部屋からだと通信速度が遅くなる欠点はありましたが。






 食後に津波ミュージアムに行ってみました。

やはりバンダアチェに到着したら最初に行くべき施設だと思いますが、バンダアチェの街に似合わない大きさでしたので驚かされました。もちろん国際的な支援によって建設されたものでしょうが、その詳細を書いたプレートは見当たりませんでした。

その代わりなのか博物館の中央の水辺のコンクリート製の球体にバンダアチェの支援に関わった国名が記されていました。博物館はインドネシア人建築家によるデザインということでしたが、屋上が次の津波発生時の避難所になるというアイデアも悪くないと思います。






 これは津波ミュージアムの建設模型です。

実際の建物と微妙に違いますが、博物館の建設途中で方向修正されたのかもしれません。この建築模型はまるで郊外のショッピングモールみたいな雰囲気ですが、実物はかなり荘厳なイメージです。20万人以上が亡くなっているわけですから当然ですが、その重みを感じられないのが残念です。







 バンダアチェ市庁舎はモダンな建物でした。

被災前からこの場所にあったのかは知りませんが、新しく建てるのであれば内陸に移すべきではと思いました。バイクなどに乗れない高齢者や足が無い市民向けには中心部のモール内に出張所を作れば良いわけですし。KLとプトラジャヤと空港みたいにライン上に配置してバスを走らせれば良さそうです。






 市庁舎の隣では結婚式が行われていました。

市民会館みたいな建物やけに賑やかでしたのでイベントをやっているのかと建物の中に入ってみたら新郎新婦が皆さんから祝福されているところでした。参加者は盛り沢山の料理を食べながら歓談していましたが、これはお金がかかりそうです。離婚率が先進国より低いのは結婚式にお金をかけ過ぎるからかもですね。(笑)





 古臭いモールでアボカドジュースを飲みました。

前回のインドネシア旅行でアボカドにはチョコレートが定番だと知ったのですが、やはりバンダアチェでも垂らしてくれました。たいへん美味しかったのですが、他の街では7000~8000ルピアだったのに10000ルピアもしました。外国人観光客だからボッてるわけじゃなく、街が小さいのでライバルが少ないので強気なのでしょう。






 手動方式のガソリン売りが一般的なようでした。

もちろん幹線道路には普通のガソリンスタンドもあるのですが、5リッターで満タンになるようなミニバイクにはこれで十分なのでしょう。私は実際に使ったことが無いので推測なのですが、客が5リッターと注文したらハンドルを回して上のガラスシリンダーに用意して、それを重力で落下させて給油するシステムだと思います。






 津波の痕跡を残してる建物はわずかでした。

津波発生時にはこの海岸の近くの建物はすべて被害を受けているのですが、生き残った人たちは修復して住み続けているようです。中にはこのように放置されている住宅もありましたが、別に教訓として遺す意思は無いのでしょう。この住宅の目の前は墓地でしたが、それが津波後のものかはわかりません。






 夕方から日本っぽい名前のモールへ行ってみました。

街の中心部や海岸を歩いてみて、異常にナショナルチェーンの店を見かけないことに気がつきました。それでGoogleマップでマクドナルドを検索してみたらヒットせず、KFCでようやく見つかりました。それはサクラモールという日本的なネーミングの商業施設にありましたが、ちょうどネパールのカトマンズと同じくらいの成長過程でした。






 モールには弁当を出すファストフードもありました。

おそらくこのモールの事業主であるサクラスーパーは日本で留学経験があるインドネシア人の経営だと思うのですが、日本で食べていた弁当店というシステムが魅力的に思えたのでは。フランス人が感じたアートとしての弁当文化とは違いますが、インドネシア人は高度成長のエネルギー源として捉えているのもしれませんね。






 チェーン店でもメダンとは店員の雰囲気が違いました。

この店は渋谷などをイメージしたカワイイ女の子のイラストを多様してあり、メダンの支店のスタッフはAKB的な制服をアレンジしたようなものでした。しかしここはモスリム比率が高いバンダアチェです。店員さんは長袖と黒いパンツで肌を隠していましたが、イラストとのギャップはスゴいですよね。






 今夜の夕食は何かシーフードをと探して回りました。

なぜか屋台で英語でシーフードと表記されているので探すのは楽ですが、魚介類の量が少なめなことが不満ではあります。おそらく津波支援にやってきた世界各国の職員たちがシーフードを好んだことから英語表記が広まったのでしょうが、被災者に気兼ねして魚介類の量が少ないと指摘しなかったのでは…






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(2016/07/21(木) 23:59)

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