新タイトル模索中…(新・北海道田園生活)
   新宿から移り住んだ札幌近郊での様々な出来事のブログの続編だったのですが、それも2007年10月に引き上げたので4年で終わりとなりました。次の住処が決まるまでタイトルも決められない「流浪のブログ」となります。
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ワケあって2007年秋まで北海道でのんびりと暮らすことになりました。客観的に見た北海道の話題と、家庭菜園や料理などの個人的な興味、さらにテレビやネットについて気になってることなどをテキトーにアップして

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 小雨の朝に通過した日立の駅ビルが閑古鳥が鳴いていた理由は…


今朝は久しぶりの雨のドライブになりました。

傘を持たずに来日したシンガポールの友人は一度も日本の雨を体験することなく半袖短パン姿で帰国しちゃいましたが、梅雨になる前の観光にベストな時期を選んだことになるのでしょう。東北への道は何度もドライブしたことがありますので友人のナビゲーションが無くても問題なかったのですが、雨でせっかくの太平洋が見えなかったのが残念でした。

これは眺望をウリにした太平洋に張り出した感じの日立駅ですが、どうせ何も見えないはずですのでスルーしました。






 道の駅で日本3周中の自転車を見かけました。

荷台のプラスチックボックスが自転車の持ち主のキャリアの長さを感じさせましたが、長丁場ですので生活の知恵が満載なのでしょう。どんな経緯で3周もしているのか、また世界一周中に南米で病死した私の友人のことを知らないかと尋ねてみたかったのですが、食事に出でかけたのか戻ってくる感じがしませんでしたので先を急ぐことにしました。






 フクシマはかなり昔に戻りつつありました。

2年くらい前にフクシマ原発の横を通る国道6号線の通行ができるようになり、仮設住宅暮らしの住人も昼間は自宅に戻れるようになりました。除染作業やアンダーコントロールできていない原発の後始末などのために出稼ぎに来てる人も多いですし、広野には小さなイオンがオープンしていました。






 Jビレッジはさほど変化が無いみたいでした。

駐車場は満車でしたし、以前は見かけなかったガードマンが立っていましたのでスルーすることに。もうすぐ元通りの利用方に戻るらしいので、次回はスポーツ振興施設として普通に入れるようになっているのでしょう。

少し先の元道の駅のまちづくり拠点事務所に行ってみたら、世襲総理の奥様のサインがありました。その隣は元総理の息子のサインでしたが、数年後には新しい世襲総理と元総理で罪人の妻という構図になっているかもですね。(笑)






 被災地にはいろんな施設が作られています。

これは楢葉町の丘の上に建設された遠隔技術の開発センターですが、フクシマをこのままの状態でほったらかしにできないので建物の中では苦労されている人たちも多いのでしょう。貴重な国費を投入して遠隔操作できる装置の開発が行われているのでしょうが、私はこんなコンクリート製の建物は税金の無駄遣いだと思います。そんな金があるなら原発の後始末を安全に行う技術の開発に使うべきでしょう。






 国道沿いの商業施設はそれなりみたいでした。

楢葉町役場の前にプレハブ工法で作られた復興市場的な商店街でしたが、おそらく以前は鉄道駅や国道沿いで営業していた飲食店などが集まっているのでしょう。東北に知人がいない私にとっては馴染みが無い店ばかりでしたが、津波被害を受けてから初めて帰省してきたような東北人には感涙もののラインナップなのでしょう。






 この常磐線の竜田駅は前回は完全な無人駅でした。

しかし今回は駅舎の前に花が飾ってありましたので、かなり雰囲気が違いました。この竜田駅は現在の最北端で、フクシマの原発などに通勤してくる作業員はここで電車を降りて仕事先が手配したバスに乗り換えるのでしょう。昼間はほとんど無人ですが、夕方には再び賑やかになるのでしょう。






 営業再開していた商業施設は賑わっていました。

このモールは廃墟化していた頃の記憶がありますが、その無人状態だった駐車場に多くの自動車が停まっていましたので感慨深いものがありました。ランチタイムでフードコートには短い行列ができていましたが、津波から6年以上の歳月が過ぎていますので遅すぎるくらいでしょう。






 帰還困難区域に近づいて緊張感が高まりました。

数年前はフクシマ原発に近づくとパトカーが増え、この辺りで通行止めになって内陸部への迂回を余儀なくされました。その帰還困難区域は脇道に入れないようにバリケードが作られていて、国道沿いの住宅の玄関はブリキで塞がれていましたので異常な雰囲気でした。原発推進派の皆さんはここを走っても賛成するのか尋ねてみたいものです。






 このコンビニは6年経っても廃墟のままでした。

わりと高い位置にあったためか津波の被害は無かったようですが、地震でライフラインが途切れた後にフクシマ原発のメルトダウンが発生したので慌ててレジの現金だけを持ってできるだけ遠くに避難されたのでしょう。国道6号線の通行止めが解除された後には店内のATMが荒らされていましたが、現金が残っていたかは不明です。






 南相馬にはコンテナ風な住宅が作られていました。

中途半端な時間でしたので歩いている人は皆無でゴーストタウンみたいでしたが、完成したばかりで入居がまだ始まっていないのかもしれません。あるいは入居者を募集しても寒々しいので埋まらないのかも。ちなみにスーパーは近くにありますし、家賃も安そうなのですけどね。






 仙台空港の近くの避難丘もチェックしてみました。

空港の周辺は津波被害を受けて空地だらけになっていたのですが、海岸方面に3つほど津波から逃げることができるための丘が整備されました。その手前には集会場みたいなものが作られていましたが、なぜかそこにはくまモンのパネルが置いてありました。






 仙台の長町エリアも雰囲気が変わっていました。

イケア仙台店の隣のやまやに駐車してワインなどを購入したのですが、その南側にあったプレハブの仮設住宅は撤去されていました。イケアの対面にはマンションが建ち並んでいましたが、仮設住宅があった場所もすぐに低層の商業施設などに変わるのでしょう。イケアのビストロでソフトクリームでも食べようかと考えたのですが、歩いて行くには遠すぎましたので止めておきました。






 時間がなくなり仙台の中心部はスルーしました。

内陸部を通る高速に乗る気になれませんでしたので海沿いの国道を走ったのですが、急に場違いな洋館が現れたので驚かされました。オルゴール博物館が復活したと書いてありましたが、なぜ松島にオルゴールなのか不思議でした。






 今日は明るいうちに石巻に到着する予定でした。

被災地の復興の様子を撮影したいと思って急いだのですが、手前で寄り道したので無情にも太陽が沈んでしまいました。それで開き直って石巻の手前のボウリングピンが目印の安そうなスーパーに寄り道して今夜の夕食を購入しました。

それは半額に値下げされていた寿司などでしたが、支払いの後にビールを冷やすための氷も貰っておきました。今夜は女川到着後にビールと共に食べて駅舎の上の風呂を試す予定でした。それなら飲酒運転になる心配はありませんのでね。






 今日の目的だった風呂の閉館に間に合いました。

前回は「おかせい」の閉店時間に間に合うように急いで名物の女川丼を食べたのですが、津波後に人口が激減した女川は夜が早いことはわかっていましたので、板茂氏が復興イメージしてデザインされた白い駅舎を眺めながら石巻のスーパーで購入しておいた寿司を食べました。

缶ビールを飲み干して駅舎の上の風呂を試すことにしたのですが、私が最後の客だったようです。1階が受付と土産物売場で2階は広々とした休憩スペース、そして3階に白いタイルのクリーンな雰囲気の風呂場がありました。

閉館15分くらい前に先客がお帰りになったら貸し切り状態になりましたので内部まで撮影させてもらえましたが、富士山みたいなシルエットはまだ納得できたものの奈良みたいな鹿のシルエットはいかがなものかと思いました。





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(2017/05/25(木) 23:59)

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